ジャコバン派
私は全然違いますよ!
ジャコバン派 (Jacobins) とは、フランス革命期にできた政治党派の1つ。マクシミリアン・ロベスピエールが中心となって急進的な革命の推進を行った。財産の平等や身分特権の廃止などを求めて次第に独裁化、恐怖政治を推進したが、テルミドールのクーデタ以降、没落の道をたどる。国民公会で左の席に座ったことから左翼の語源となった。また、共産主義の思想のルーツを探れば、このジャコバン派に行き着く。名称の由来はパリのジャコバン修道院を本拠としたことによる。
元々は、ジャコバン・クラブというさまざまな思想を持つ人々が集まるクラブであった。しかし、革命を経るにつれて立憲君主派であるフイヤン派や、穏健共和派であるジロンド派がこのクラブから脱退し、最終的に山岳派(Montagnards、モンターニュ派・モンタニャール派とも)と呼ばれる急進共和派の集団がジャコバン・クラブに残り、主導権を握る(上記の図も参照のこと)。
そのため、まれに広義の意味としてジャコバン・クラブに属していた市民を指してジャコバン派ということもあるが、一般的には後者の急進共和派(山岳派)を指して用いられる。実際、ラファイエットやブリッソーなどのフイヤン派・ジロンド派の代表格も一時期ジャコバン・クラブに属していたが、彼らを指して「ジャコバン派である」と言うことはまずない。
一方で、急進共和派クラブであるコルドリエ・クラブ系の急進共和主義者たち(コルドリエ派)に対して用いる場合もあるが、この場合はクラブの違いを意識して区別されるだけであり、両者に立場的違いはあまりない。
三部会の第三身分の議員のうち、ブルターニュ出身議員で構成されたブルトンクラブが原型である。ヴェルサイユ行進ののち、ジャコバン修道院で集会が行われるようになり、ジャコバン・クラブと呼ばれるようになる。
立憲君主派(フイヤン派)の脱退
1790年の3〜6月にかけて、ラファイエットやバイイら立憲君主派はジャコバン・クラブから脱退し、89年クラブを創設した。一方、ジャコバン・クラブ内では1791年6月の、ルイ16世一家の国外逃亡未遂(ヴァレンヌ事件)や7月のシャン・ド・マルスの虐殺を期に、国王の責任を追及する左派と、議会と国王を共存させようとする右派が対立した。
この時期、バルナーヴやデュポール、ラメット兄弟などの右派がジャコバン・クラブから相次いで脱退。これに先の89年クラブが合流し、フイヤン・クラブ(フイヤン派)が創設された。この時点でジャコバン・クラブからは立憲君主派が消え、残ったのは、穏健・及び急進的共和派となった。
(以上、ウィキペディアより引用)
てか初めて聞きましたし。
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